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【妙高山について】

【山名の由来】
【外輪山に囲まれた妙高山】
【一列に並んだ火山】
【妙高火山の生い立ち】
【山頂部】
【今も活動する妙高火山】


標高;2454m(最高点)
 2446m(一等三角点)
位置;北緯36度53分17秒
 東経138度06分60秒

 妙高山は、群馬・新潟・長野にまたがる上信越高原国立公園に属する妙高山群の中心の火山です。
妙高山群は頚城山塊の一部であり、妙高山はその東端に君臨し、頚城山塊の盟主たる威容を誇ります。
頚城山塊は、頚城アルプスとも呼ばれることもあります。

【山名の由来】

山名は、古くは「越の中山」と呼ばれていたものが、「名香山」あるいは「妙香山」と当て字され、"たえなるかおり"の意味を持っていました。
それが「みょうこうざん」と読まれるようになり、「妙高山」の字が宛てられました。
義経記には「直江の津にて笈探されし事)妙観音の嶽より下したる嵐に帆引掛けて、米山を過ぎて…」とありますが、この妙観音の嶽を妙高山だという説もあるようですが、深田久弥が日本百名山の中で否定しています。
妙高山は仏教で世界の中心にあるとされる須弥山(しゅみせん)の別名でもあります。
開山は奈良時代の裸行上人。麓にある関山神社も裸行上人の創立であると伝えられています。しかし、関山権現の御神体銅造菩薩立像朝鮮三国時代の遺品から妙高信仰は飛鳥時代にあった可能性もあるそうです。
明応6年(1497年)7月に、長尾能景が曇英禅師を招いて春日山城下に林泉寺を建立したとき、曇英禅師が「妙高山は阿弥陀如来の極楽浄土で、米山は薬師如来のおられるところだ」と語録したそうです(参照;妙高高原町史)。
昭和59年6月19日、東京毎日新聞にチベットの釈迦の山、「カイラス」が掲載されました。その山容は妙高山と似ていて、鷲が羽を広げたような姿をしていました。法華経・無量寿経にある霊鷲山も同様の姿をしており、カイラスも妙高山も仏僧にとって仏陀が住む山として仰ぎ尊ばれたのでしょう(参照;妙高高原町史)。

【外輪山に囲まれた妙高山】

妙高山は典型的な二重式火山であり、赤倉山(2141m)、三田原山(2360m)、大倉山(2171m)、三ツ峰(1970m)、前山(1932m)、神奈山(1909m)といった外輪山が中央の妙高山(2454m)をぐるりと綺麗に取り囲んでいます。
神奈山は東西に細長く、1909m山頂から西に1900m峰があります。ここを神奈山西峰と名付けましょう。
大倉山と神奈山の間には三ツ峰(1970m)があります。
国土地理院の地図には名前が載っていないため、知っている人は山好きな人以外はあまりいないでしょうが、新井方面から見ると明瞭にピークが観察できます。
三田原山は古い書物には廓(くるわ)岳と書かれています。廓とは城の周囲にめぐらせた囲いのことです。
その名の通り、妙高山の西側を城壁のように覆っていて山頂部は南北に細長いです。
最高点は2360mですが、書物によっては2368mとなっています。
南に2347m、2320mのピークがあり、最南端に2300m峰があります。
この2300m峰は杉ノ沢温泉や古間・牟礼等からよく見えます
なお、三田原山の南端と赤倉山の間はクルワ乗越と呼ばれているようです。
赤倉山の三角点は2141mですが、すぐ西側に2150m峰もあります。付近にいくつか小ピークがあります。
杉野沢温泉から見上げると、鋸の歯のようにギザギザしています。

狭義の妙高山は、これら外輪山に囲まれた中央火口丘を指します。この中央火口丘を心岳とか真山と言うときもあります。
妙高村史(1994)には、前山は外輪山ではなく、妙高山と同じ火口丘のひとつだとされていましたが、どうやらこの説は否定されていたようです
(参照;妙高火山群-多世代火山のライフヒストリー-早津賢二 2008)。
広義の妙高山はこの外輪山や中央火口丘をすべてひっくるめたものを指します。

神奈山の麓やその周辺には、藤巻山(945m)、坪岳(755m)、横根山(593m)、ナマコ山(約440m)、動的山(約460m)、金山(767m)、高所山(640m)と特に目立たない山域に幾つもの山名前がつけられています。
三角点の場所を見ても、ピークではないところにつけられているのも多いので、麓から見てもどこがどの山なのか、ほとんどわかりません。
かつては重要な拠点や目印だったのでしょうか。

前山
(妙高山山頂から)
神奈山
(燕温泉から)
赤倉山
(妙高山山頂から)
赤倉山
(杉ノ原スキー場から)
大倉山
(燕温泉から)
三田原山
(笹ヶ峰牧場から)
三田原山
(笹ヶ峰トレッキング
夢見平コース
展望台から)


▼妙高パインバレーから見た妙高山
外輪山にぐるりと取り囲まれた妙高山がよくわかります。


【一列に並んだ火山】

火山が上図のように線上に配列する理由はよくわかっていないようです。
高社火山は、別の火山帯に属するようです。鳥海山-弥彦山-米山もみごとに直線状になっていますが、これも別の火山帯でしょう。
ただ、火山帯をどのようにわけるかはいろいろ考え方があるようで、全く無関係の火山帯であるとは言い切れないようです。


【妙高火山の生い立ち】

「妙高火山は、その規模のわりには、複雑で長い歴史をもった火山である」(妙高・戸隠連峰 山と渓谷社)。
一代目の妙高山が産声をあげたのは約30万年前だと言われています。
やがてひとつの火山の寿命がつきることになりますが、その古い火山体を土台にして次世代の火山が形成される……
という生と死を繰り返してきたと言われています。

早津賢二先生によると、妙高山は4代の火山が縦に重なってできていると言います。
まず約30万年前、現在の天狗の庭付近に2500〜2700m付近の富士山型の火山が誕生します。
これが一代目の妙高山で雷菱火山と呼ばれます。
雷菱火山は歴代の妙高山の中でも最も大きいものだったと言います。
この時の妙高山は南北2つの山頂部があり、5kmほどの間隔があったようです。
1代目の妙高火山は数万年活動したのちに、15万年間の長い眠りにつきます。

15万年後、眠りから覚めた妙高山が活動を再開します。
2代目妙高山、神奈山火山の誕生です。
活動を始める前は侵食によって山頂部は標高2000mほどの北西〜南東に伸びる稜線になっていたようです。
火山活動により、火砕物質と溶岩の流出が繰り返され、高度を急速に増していき、2500m以上の成層火山体を形作りました。
およそ15万〜11万年前の4万年ほど活動していたようです。
このときの火砕流は歴代でも最も大規模であり、火砕流雲は野尻湖まで達したと言います。
現在の妙高山のように、2代目妙高山も山頂部が崩壊し、カルデラを形成したようです。

約7万年前、妙高山は3度目の活動を再開します。
3代目の妙高山、三田原火山です。
まずは山頂部にスコリア丘を形成したのちに、火砕物質と溶岩の流出を交互に繰り返しました。
山体は急激に成長し、2800〜3000mほどの成層火山を形成しました。
この時期の妙高山が最も標高が高かったと言われています。
富士山の小御岳のように、山腹には神奈山が突き出ていたようです。
3代目の妙高山の活動は6〜5.5万年ほどまで続きました。
45000年前に大規模な山頂部の崩壊があり、カルデラを形成したと言われています。


やがて現在の4代目の妙高山が活動を開始します。
活動直後の妙高山は、3000mほどもあった山体は長い年月で開析が進んでいて山頂部は平たかったかもしれませんが、
標高は2400m以上あったようです。
約43000年前、41000年前、39000年前と休止期と活動期を繰り返し、再び
2500〜2700ほどの山体を築きあげます。
その後、10000年間の休止期に入りました。…が、突如、妙高山は長い眠りから覚めます。
19000年前に山頂部が大崩壊を起こしたのです。
このときの土砂は1.4立方キロメートルにもおよび、山麓を覆い尽くし、高田平野まで達したようです。
この崩壊は火山活動によるものだと考えられていますが、マグマの流出は起こっていないようです。
カルデラは、東にむかって大きく口をあける形で形成されました。いわゆる馬蹄形カルデラです。
カルデラ内に湖が存在していた可能性もあるそうです。
休止期を終えた妙高山はまず、火砕物質と火砕流を繰り返し噴出し、ひとつの火砕丘を形成しました。
このときの火山灰は遠く会津駒ケ岳などにも達したそうです。
そして、火砕物質の噴出が終わるといよいよ、粘性の高い溶岩が押し出され溶岩ドームを作り上げました。
これが現在の中央火口丘(妙高山心岳)です。
最後のマグマ噴火は5000年前で、このときの火砕流は20kmほども流れたと言われています。
記憶に新しい雲仙普賢岳がの火砕流が4.5〜6.5kmほどでですから、想像以上に激しい噴火であったでしょう。
2800年前に、赤倉山南山腹が崩壊し岩窟なだれが起きましたが、火山灰は確認されていないようです。
光善寺池はこのときに形成されたといいます。
1400年前に、南地獄谷で水蒸気爆発がおこり、これが妙高山の最後の噴火となりました。

なお、早津賢二先生によると、一代目妙高山よりもさらに15万年ほど古い火山、容雅山も今後の研究によって妙高火山に
含まれるとするならば、妙高山は5世代火山ということになるということです。
容雅山も妙高山の一部だったということになればとても面白いと思います。

妙高山を含めた妙高火山群の歴史を簡単に示すと以下のようになるようです(参照;妙高村史)。
1600万年前はまだ日本海がなく、大陸と陸続きであり、妙高は海の下でしたが、1400〜1500万年前から急速に日本海が形成しはじめました。
このころに、現在の火打山や南葉山をつくる地層が海底で堆積しはじめていました。
600万〜500万年ころには海底で火山活動が活発になります。
500万年前までに、山脈が隆起し、日本列島の原型が形成されました。
300万年ほど前になると、妙高は水深50mの浅い海となり、妙高から出土される貝の化石などが堆積していきました。
73〜12万年前には、氷河期に突入します。70万年前には関田山脈が急激な隆起をはじめました。
50万年前に容雅火山や斑尾火山が誕生、30万年前に一代目の妙高山が活動を始めます。
これらの火山の活動が終わると、続いて飯縄山、黒姫山が次々と火山活動を始めます。
15万年前、再び妙高火山が活動します。そのころには既に野尻湖にナウマンゾウやオオツノジカがいて、人間が狩猟していたといいます。
2万年前、3000m近くあった妙高火山の山頂部分が崩壊し、馬蹄形カルデラを形成しました。
6000〜9000年前に、カルデラの中心部から粘性の高い溶岩が吹きあがって、ついに妙高山中央火口丘が誕生しました。
そして4000〜5000年前に最後のマグマ噴火、1400年前に水蒸気爆発をし、今に至ります。
ちなみに、3000年前には焼山が誕生します。

参照;妙高火山の生い立ち

【山頂部】

妙高山は双耳峰と言われていますが、山頂部と地図をよく見れば、峰は3つあります。
最高点のある南峰(2454m)は岩場ばかりのゴツゴツした場所です。
昔は最高点が計測されておらず、妙高山の標高はニシシロ(2446)で覚えるというのが地元民の習慣でした。
藤島玄が「越後の山旅<上越編>」で「もし最高点を求めるならば、
標高は優に2450mを突破し、上高地の焼岳(2455m)と比肩しようとすれば、惜しいことだ」と書いていましたが、
1990年の測量で、再測量が行われ、念願の最高点が計測されました。
地元の新聞には「妙高山の背が伸びた?」という見出しで出たことを覚えています。


その南峰から北へ少し歩くと、いったん下がって再びあがり、一等三角点のある2446m峰に到着します。
ここは広々としていて空中庭園のような感じです。
さらにここより少し離れてさらに北に2420m峰があります。
燕登山道から見上げたとき、鋭鋒に見える峰です。そこへは道がありません。
最高点は南峰の2454m峰と決まっていますが、北峰はどれになるか、というのは実は書物によって異なっています。
一等三角点のある2446m峰を北峰と呼んでいる書物もあれば、最北峰の2420m峰を北峰と呼んでいるものもあります。
おそらく、明確には決まっていないので諸説があるのでしょう。
いっそのこと、三峰ということにして、南峰(最高点峰)、中峰(三角点峰)、北峰とすれば混乱が生じないと思うのですが…。

※「図説雪形 (高志書院1997)」には三角点峰を中ノ峰と称していました。

▲南峰から三角点(左)と2420m峰(右)を眺める。


妙高山の中央火口丘は南北に細長く、東斜面が大岩壁を形成しています。
ここが見えるか見えないかで、また妙高山の印象も変わります。
詳しくはいろいろなところから見た妙高山を参照してください。

妙高山中央火口丘の東山腹の大岩壁(大露頭)


【今も活動する妙高火山】

2009年2月2日に浅間山が噴火したことは記憶に新しい(参照)。
妙高山もたびたび、噴煙を出します。
とはいっても山頂部ではなく、赤倉山の谷間の南地獄谷からです。
早津先生によると、歴代の妙高山は噴火口を南東へと移動させていったそうですから、
何万年後に誕生する新たな妙高山はここが火口になるのかもしれませんね。
2009年2月28日には南地獄谷より噴煙がかなりあがっていたのが確認されました。


【妙高山の歴史・地質に関する参考文献】
・ 妙高火山群−多世代火山のライフヒストリー−早津賢二(著) 出版社:実業公報社(2008/10/10)
・ 妙高村史
・ 妙高・戸隠連峰―火の山と山岳宗教 (日本の山と渓谷) 渡辺 正敏 (著) 出版社: 山と溪谷社 (2000/12)

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